2015年11月6日金曜日

天魚の由来 《残心》

荘子 逍遙游第一は
このあともなお興味深い。

「図南鵬翼(となんのほうよく)」
或いは
「図南」
という言葉は
このお話の最後の部分から出ている。

学生の頃、
カールセーガンの
「COSMOS」という本が大ヒットした。
その中でこの逍遙游の、
「空からみたら、地上は青く見えるに違いない」
の部分が引用されていた。
ガガーリンの言葉と並んでいたように思う。

「COSMOS」はNHKでシリーズ特番になっていた。
番組が先か、本のヒットが先かはわからない。
 ↑Wikipediaでみたら
  アメリカで制作、
  並行して書籍化、
  日本では1980年「朝日放送」で放送、
  とのこと。
  …記憶なんて、あてにならないな。

.................................................

齊諧(さいかい)さんは物知り。

彼はいう。

巨鳥、鵬が
南の果てに向けて飛び立つとき、
海上を助走すること三千里。
その勢いで
翼でつむじ風を叩きつけ、
上昇すること九万里。
この九万里の厚みの「空気」に載って
飛び去るのだ。

.................................................

空気とは何か。
目に見えないし感じられないかもしれないけど
陽炎がたって景色を揺らめかせたり
舞い上がる埃を空中にとどめたり、
生き物が吸ったり吐いたりする
あれ、である。

.................................................


空が真っ青なのは
空本来の色なのか?
空が遠く極まりないから
間にあるもの(空気)が
厚く重なって青く見えるのではないだろうか?
もしそうだとしたら、
空から地上を見下ろしても
地上は青く見えるに違いない。

.................................................

もし水に厚み(深さ)がなければ
船を浮かべることができない。

例えば、
杯の水を床の凹みにこぼせば
ホコリを浮かべることはできるが
杯は床に接して動かない、浮かばない。
水が浅くて、船が大きすぎるのだ。
(船を浮かべるには、
 浮かべられるだけの厚さが必要だろう)

.................................................

ということは
大きな鳥を空に浮かべるには
それなりに分厚い空気の層が必要だろう。

鳥自体幾千里もの大きさのある鵬であれば
九万里の厚みの空気があって初めて
空気に載る、つまり、飛ぶことができる。

風の上に載り浮かび、
青空を背に負った鵬は
もはや何ものにも遮られない。

そうして初めて
南の果てを目指すことができるのである。

.................................................



齊諧者。
志怪者也。
齊諧は
怪を志(し)る者なり。
諧之言曰。
鵬之徙於南冥也。
水擊三千里。
摶扶搖而
上者九萬里。
去以六月息者也。
諧の言に曰く、
鵬の南冥に徙るや、
水に擊(う)つこと三千里、
扶搖(ふよう)に摶(はう)ちて
上ること九万里
去るに六月の息を以てする者なり、と。
野馬也。塵埃也。
生物之以息相吹也。
野馬や、塵埃や、
生物の息を以て相ひ吹くなり。
天之蒼蒼。
其正色邪。
其遠而無所至極邪。
其視下也。
亦若是則已矣。
天の蒼蒼たる。
其れ正色なるか。
其れ遠くして、至極する所なければか。
其の下を視るや、
亦た是くの若くならんのみ。

且夫
水之積也不厚。
則其負大舟也無力。

且つ夫れ
水の積むや厚からざれば、
則ち其の大舟を負ふ力なし。
覆杯水於坳堂之上,
則芥為之舟。
置杯焉則膠,
水淺而舟大也。
杯水を坳堂の上に覆へせば、
則ち芥が舟と為らんも、
杯を焉(ここ)に置かば則ち膠(こう)せん。
水浅くして舟大なればなり。
風之積也不厚,
則其負大翼也無力。
風の積むや厚からざれば、
則ち其の大翼を負ふ力なし。
故九萬里。
則風斯在下矣,
故に九万里にして
風斯(すなわ)ち下に在り。
而後乃今
培風;背負青天
而莫之夭閼者,
而る後、乃ち今や
風に培(の)り、青天を背負ひて、
これを夭閼(ようあつ)する者なし。
而後乃今
將圖南。
而る後、乃ち今や
将に南を図らんとす。
 

0 件のコメント:

コメントを投稿