2016年3月18日金曜日

「松平容保」の疑問

実家は、福島県の会津に親しい家だったので
 松平容保(まつだいらかたもり)
の名と
陣羽織に引立烏帽子の有名な写真とを知ったのは
かなり小さいころだった。

どこをどう読んだら「容保」が「かたもり」なんだ?
と思ったものだった。

ただ、いつのまにか
「容保」を「かたもり」と読むのは
余りにあたりまえの機械作業になってしまっていて
「どこが『かたもり』なんだ?」という疑問は
忘れてしまっていた。

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会社のPCの壁紙は
易経のテキストにしてある。
「お経?」と聞かれることがあるが
「まぁそんなとこ」
とこたえておく。

机の上で毎日目にしているわけだが
それは模様が目に映っているのであって
読んでいるわけではない。

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今朝、ふと見たら
デスクトップに「容保」の文字のあるのが目に入った。

 澤上に地有るは、臨なり。
 君子以て敎思すること竆まり无く、
 民をんずること疆り无し。

それを見た瞬間
その大昔の疑問が蘇り、
同時に
容は、「かたち」だから「かた」か。
保は、おもりの「もり」か、と、思い付き、
何十年か前の疑問が、一瞬で解けた。

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「容保」の命名の典拠が
易経の象伝なのかはわからない。
「容」は会津松平家の通字(代々名前に使っている字)だから
「容」ははなから決まっていて
「保」は別の由来があって使われたのかもしれない。

ただ、いずれにせよ、
何かの機縁があって
いつも気にも留めないPCの壁紙から
たった2文字が抽出されて目に刺さり、
何十年も思い出したことのなかった疑問が思い出され
瞬間的に氷解したことに
名状しがたい感慨と
因縁を感じたのだった。

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徒然草157段

筆を取れば物書かれ、楽器を取れば音を立てんと思ふ。
盃を取れば酒を思ひ、賽を取れば攤打たん事を思ふ。
心は、必ず、事に触れて来る。
仮にも、不善の戯れをなすべからず。 

あからさまに聖教の一句を見れば、
何となく、前後の文も見ゆ。
卒爾にして多年の非を改むる事もあり。
仮に、今、この文を披げざらましかば、
この事を知らんや。
これ則ち、触るる所の益なり。

心更に起らずとも、仏前にありて、数珠を取り、経を取らば、
怠るうちにも善業自ら修せられ、
散乱の心ながらも縄床に座せば、覚えずして禅定成るべし。 

事・理もとより二つならず。
外相もし背かざれば、内証必ず熟す。
強いて不信を言ふべからず。仰ぎてこれを尊むべし。


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