2016年11月27日日曜日

四菖八菊

六菖十菊(ろくしょうじっきく)
〔菖蒲は五月五日の端午の節句に、
菊は九月九日の重陽の節句に必要とされるところから〕
時機に遅れて役に立たないことのたとえ。
六日の菖蒲(あやめ)。十日の菊。
                     …大辞林

四菖八菊(ししょうはっきく)
〔菖蒲は五月五日の端午の節句に、
菊は九月九日の重陽の節句に必要とされるところから〕
時機に早すぎてまぬけなことになってしまうことのたとえ。
四月の菖蒲(あやめ)。八月の菊
                     …天魚林


11/16の個展の「プレ」案内をみて
すわこそ一番乗り、
なにか手土産を!
と、10/15の夜中に工作を始め、
10/16に展示会に行ってしまう。
…来月じゃん。

11/23個展最終日。
そのままかばんに入れ続け
袋がくたくたになった手土産を
臆面もなく大先生に贈る。

これすなわち
 四菖八菊
である。




端切れを集めて縫い合わせる。










裏からは黒塗りの椀

表からは小銭?入れ


汁椀っぽいが
命名は個展タイトルに合わせて
ごはんちゃわん

2016年11月26日土曜日

禍福はあざなえる縄の如し


明日は朝早く家を出て
河合さんを訪ねる、
という夜の21時になって
はんこを贈ろう、
と思いつく。

机の上にあった印材を手にしたとき
そこはかとない
イヤな予感がしていたが、
確認するのも面倒で
そのまま彫り進める。

仕上がってみたら
予定していた箱に入らない。
嫌な予感はこれだな。

あわくって
革の端切れで
袋的なものを作る。

手作り感が増してよかったかな。

…と、思うことにする。



タガのユルんだおやじの箍を締める顛末

妻の買ってくるシャツが、
僕が想定する倍以上の値段だった。
難じると

「中身の品質はもう担保できないんだから
 せめて包装だけでもきちんとしないと
 商品として扱えません。」

との回答だった。
4,5年前のことである。

爾来、妻の買ってくる服の値段に文句をつけることはない。

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齢50。
「知命」にして
包装はいかに取り繕っても
箍(たが)も緩みは蔽うべくもない。

広く世間を見渡すに、
社内の飲んだくれのおじさんでも
薬指に銀色の箍がはまっている。

思うに
ぐでぐでに酔っぱらっても
煮崩れたり、はじけとんだりしないよう
予め箍をはめているのだろう。

妻に「箍」をはめるよう
強めに勧められた。

。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

肝心の箍(たが)がない。

ないわけではないが
はまる箍はない。

結婚して2週間足らずで結婚指輪の装着をやめてしまった。
(妻は2,3か月間は頑張ったかもしれない)
大切のあまり、
箪笥の奥に久しくしまっておいたが
そのせいで縮んでしまった。

縮んた指輪は
薬指にあてがっても
第二関節がこれを通すことを強く拒む。
関節の「関」は関所の「関」であることを思い知らされる。

「箍の更新が必要」
という相談がまとまったそのとき
奇跡のように、
あるいは冷やし中華の季節到来のように

「指輪教室、はじめました」

の案内が届く。


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初冬の一日、
河合隆男さんの主宰する、沼津の
 創作工房 WARAI
を訪ね、指輪を作る。


出来上がりはこんな感じ。
「鍛造だから使える素材シルバー950は
 銀白色の輝きが違います」
との河合さんの言葉通り、
普段見る銀製品よりだいぶ白く鋭く輝く。
槌目が美しい(自画自賛)


素材の銀の棒。
河合さんの用意してくれたのは
もっと太くて立派だったが
普段使いに細いのがいい、
といったらのこぎりで挽いて
5分ばかりでこの太さにしてくれた。
長さは51mm
これを65mmまで打ち延ばす。


焼きなます。


打ち延ばす。


丸める。
そこは初心者。
側面を見ると厚みはいたって不均一。




こういう時カルチャースクールの先生は

「このヘッタクソ!」

なんて暴言は吐かない。

「味が出ましたね」
「景色ができましたね」
「非対称の面白さがありますね」

などと言う。
意味はどれも同じである。
もちろん河合さんはそんなことは言わなかった。


銀蝋で熔着する。


silverの刻印を打つ。


やすりで形を整える。




打つ。
太さを調整し、
形を整え、
槌目は装飾として残す。




磨いて2つとも出来上がり。
もちろん不惑の妻も
ゆるんだ箍を締め直すのである。


作った指輪(下)と
結婚後1週間で外した指輪(上)とを比べるてみる。

鉄道の線路は、
暑いと伸びるし、寒いと縮む。
古い縮んだ指輪を見れば
20年近い歳月が思った以上に寒かったことがうかがわれるのである。



紆余曲折はあったものの、
幸いにして再び箍は締まった。

忘年会シーズンもはじまる。
これで飲みに行っても安心である。






↓参考図版「箍(たが)」



追記:木の葉さんとこの話をしていて初めて気づいたが
孫悟空の頭の金輪「緊箍児(きんこじ)」の「こ」は
「箍(たが)」である。
何十年も結びついてこなかったなぁ。
三蔵法師が悟空の頭を絞め付ける呪文は
緊箍呪、なわけだが
そう思ってみると
 箍を緊(し)めつける呪文
というだけの命名で
ほんとんど一般名詞である。
文字の国の人の命名した
なんだか難しい、高尚な名前、と思っていたが
そう考えるとちょっとがっかりである。

そういう点では
悟空の武器
「如意金箍棒」も
意の如くなる(如意)、金の箍のついた棒
と思うと、がっかり加減は同様である。


2016年11月24日木曜日

二の酉 狛犬 切山椒

通りに提灯がぶら下がっているなぁ
と思ったら
 二の酉
とのこと。

神社に入っていったら
りりしい狛犬がいた
本当に犬なんだ。







酉の市といえば熊手だけど
この雰囲気ではちょっと買えない…

お札の授与所で小さな熊手をもとめる。

あと切山椒ね。





2016年11月20日日曜日

犯罪者の気持ちで掘る。

脊椎動物の骨格標本を作るとき
動物の死骸から骨を取り出すため肉を除去する方法はいくつかある。

1)手仕事で肉をはぎ取る
2)薬品(アルカリ、酵素など)で溶かす
3)虫に食べさせる
4)腐るのを待つ
など。

なんだかおどろおどろしいなぁ。

先日刈り取ったモロヘイヤ、オクラは
幹は堅く
繊維も強靭。
ゴミとしてだすか
庭に埋めるか迷ったが

a)ごみ減量
b)体重減量

の2つの観点から
庭に穴を掘って埋めることにした。

最小限の手間で埋めたいので
埋めるものに合わせて穴を掘るわけだが
これで足りるのか、もうちょっと掘らないと埋まりきらないのか、
余裕を見てのんびり掘るわけにはいかない
人に頼むこともできない…

殺人事件で遺体を埋める犯人の気持ちは
こんな感じなのかな、
と思った。


結局
長さ2mちょっと
幅40㎝ばかり
一番深いところで40㎝足らずの長い穴を掘った。


こいつらを埋めなくてはならない
ただ、
しばらく雨ざらしにして葉っぱや小枝は落ちているし
踏みつければだいぶ嵩も減るだろう。


これくらいでいいかな。



土は固いし
雨を含んで重い。


モロヘイヤとオクラを埋める。
なんだか見られてはいけないものを始末する気分。



腐るまでは2年くらいかかりそう。

2016年11月17日木曜日

胚、これが子葉です。

ガイドブックで見た風景を
旅行先で確認する気持ちで
カキの種を割ってみる。

むかし教科書で見た通り、
胚が胚乳の中に見える。

そうそう、こんな感じ。


教科書によれば
胚=子葉+幼芽+胚軸+幼根
…とのこと。

2016年11月16日水曜日

ぶりぶり

夜中突如、
週末に買ったトンブリを思い出した。
100円だった。
ずいぶん安いな。


トンブリはホウキグサの実
ホウキグサはコキアの和名。

秋田以外の地域ではホウキグサの実を食べないのだろうか。

秋田でハタハタの卵をブリコというけれど
トンブリのブリと
ブリコのブリは
ツブツブ、ブリブリ(プリプリ?)しているという
擬態語を共有しているのではないだろうか。




トンブリは
いつも何かに混ぜて食べていて
歯触りはともかく
それそのものの味を感じた記憶がない。
今日は、
このお安く手に入ったトンブリを贅沢に食して
確認することにしよう。


パッケージにしたがって
ツナ缶と取り合わせたが
ツナの味が強くてトンブリがよくわからない。
マヨネーズも多すぎ。




これだけ食べ続けることもできないので
しかたなくビールを開ける。

明日納豆にでも入れてやろうと思って残しておいた分で
ツナを減らしてもういちど試してみるか。
しかたない。

トンブリの味は淡く、
乾草のような
ぬかのような
秋の田んぼのにおいがした。

これは日本酒だろう、
と、
「ますいずみ」の小瓶を開けてしまった。

なりゆきによる事故、
だな。

ひとりで本を読みながら飲んでいたらしんみりしてしまったので
子供が8月に録画しておいた
「コクリコ坂から」
をつけてみる。

ちょっと楽しくなってきた。

…トンブリがなくなり
酒が尽き
映画が終わったら2時半だった。

あしたはリフレッシュした気分で出勤できる

と思う。

2016年11月15日火曜日

標本の作り方 自然を記録に残そう

植物図鑑を開けば腊葉標本の作り方、
昆虫図鑑を開けば展翅の仕方。
自然科学、就中、分類学等古典的な分野の本を開けば
その分野の標本の作り方は必ず書いてあるが
この本は分野を問わないあらゆる標本の作り方を説いている。
むしろ、
展翅だの三角紙の扱いだの、
マニアな詳細情報が比較的容易に手に入る類の記述は大幅に省略されてしまっている。
なんだかそこにものすごい「本気さ」を感じてしまう。
岩石、化石、高等植物、海藻、菌類、苔、地衣類、
昆虫、甲殻類、貝、魚、鳥類、哺乳類、卵、糞便…
思いつく限りの相当が含まれている。

そして一つ気づいたのは
学生実験とか、
触ったことがある程度、ではあるにせよ
自分自身これまで
結構いろんな標本づくりをしたなぁ、
ということ。
ちょっとびっくりした。
古典的な生物系の講義を好んで履修していたから
当たり前なのかもしれないけど。
(就職後間もないころ上司に「君の学問は(実学でなく)虚学だ!」と
 難じられた。お互い最初から分かっていたと思うのだけれど)

「哺乳類の皮むきなんていったいどんな機会に…」
と思ったがこの作業にも覚えがある。
マウスの筋肉を観察するときたしかにこの手順で「皮むき」した。
バッタの精巣のパラフィン包埋とかもやった。
腊葉標本はひと夏つぶすくらい大量に製造したし
海藻標本もだいぶ作った。
液浸、骨格、切片、岩石…

物珍しくてこの本を買ったつもりでいたが
実は
何か懐かしくて手に取ったのではないか、
と読み終わってから気づいた。

そんな盛りだくさんな記述の中で
いちばん心に残ったのは
「最小限の情報を残すための方法」
という半ページ足らずのコラムの中の一文。
著者はキノコの研究者。

採集に使う新聞紙はかならず当日の新聞を使う、
それも
一面から順に使う。
日付と場所を書き損ねても最小限の情報を残せる。
天魚注:当日の新聞なら少なくとも日付は確実である。
さらに、
たとえば5面で包んだキノコの記録を残せなかったとしても
4面と6面で包んだキノコに記録があれば、
当日ルートのどのあたりで採集したのかが特定できる。
私はこのために
ページ数の多い日経を読みます。

なんたることか!
日経読者の少なくとも1人は
記事でも論調でも惰性でもなく
そのページ数を愛して購読しているのである。



大阪市立自然史博物館叢書②
標本の作り方 自然を記録に残そう
大阪市立自然史博物館編著
東海大学出版会2007年


2016年11月12日土曜日

パクチーの不整合

お店の表示は
コリアンダー
別名パクチー
























売られている野菜の品名は
惚れ惚れ
種類は
シャンサイ
シャンツァイ 香菜
ラベルは
パクチョイ

…はっきりしてほしい。



海東諸国紀

小難しそうで
読みそうにないけど100円なら
と買ってみたが
面白くてすぐに読み終えた。

厚く見えるが
影印(原本の各ページの写真)が3割
注釈が2割、 
空白がたくさんで
本文は厚みの3割もないくらいでは?
ただ、
漢文読み下しなので
慣れない人にはとっつきにくい。

1471年、
応仁の大乱真っ只中に書かれた
朝鮮王朝官僚による日本の紹介本。
内容は日本の
歴史、地理、人物、民俗、外交、儀礼に及ぶ。

突っ込みどころはたくさんあったけど
そのいくつかをあげてみた。

(突っ込みどころ、といっても、
 その記述は過誤はあるにせよきわめて誠実であり、
 著者に罪のないことは
 彼の名誉のために申し添えておきたい)



「日本国王の姓は『源(みなもと)』である」
天皇家に姓はないだろ!
というは知ったかぶりの早とちりで
ここでいう日本国王は日王(現代韓国における天皇への卑称)ではなく
室町幕府の足利将軍である。

歴代の足利将軍の多くが
金目当てで中国に臣従を申し入れ
大明皇帝から日本国王に任命されている。
僕らは「征夷大将軍」だと思っているから
「日本国王」と言われるとぽかんとしてしまうが、
同じく明に朝貢している朝鮮から見れば
日本国王でまちがいない。

足利将軍家も徳川将軍家も「姓」は「源」なので
国内であれ対中国であれ、公式の場では
足利義満 でなく「みなもとのよしみつ」
であったり
徳川家康 でなく「みなもとのいえやす」
である。

国王がいるならその上の天皇はどうなるんだ?
という疑問もあるが
この本では神武天皇以来の歴代天皇を詳述しつつも
そこのところは触れていない。
大人である。

「李氏朝鮮たかられる」

日本からの来客の記録が延々と書いてある。
その多くはハイエナである。

朝鮮に世祖という偉大な王様が即位した。
天もこれを嘉(よみ)して
いろいろな奇跡が起こる。
花が降ってきたり
甘露が天から降りたり
菩薩が現れたり…

国内で喜び合っておけばそれでよかったところを
ご丁寧に使者を立てて日本に報告したのが運の尽き。
乱世日本のハイエナたちにいいように食い物にされてしまう。

日本からの「慶賀のお客」がじゃんじゃんくる。
お祝いはただの口実。
おみゃげ狙いの下心の塊である。

しかも、み~んな
朝鮮外交の正規の窓口である、
対馬島主、宗貞国の紹介状をもって来る。
朝鮮政府は彼らを追い返すこともならず、
お土産付きで接待し続けるのである。

紹介状を書く貞国もまた下心の塊である。
儲かっただろう。

使者をつかわすのは自称「有力者」だが
肩書のインチキくさいこと甚だしい。
「海賊大将」なんて肩書でやってくるのが幾人もいる。
それって倭寇?
村上水軍からもお祝いが来ている。
倭寇を平らげて立国した李氏朝鮮としては複雑だろう。

5年ばかりの間に80組以上のお祝いが来ている。
毎月1組以上である。
見栄の代償。
手痛い出費である。

この
「見栄っぱりをやめられない」
という弱み(?)に付け込んで贈り物をむしり取る商売は
対馬藩の伝統芸として
こののち江戸時代にいたってなお続けられるのである。

「装飾過剰」

輸忠協策靖難同徳佐翼保社炳幾定難翊戴
純誠明亮経済弘化佐理功臣
大匡輔国崇禄太夫
議政府領議政
兼領経筵藝文館春秋館弘文館
観象監事礼曹判書高霊府院君

これで本書の著者、申叔舟さん、
一人分の肩書である。

メインの肩書は
「議政府領議政」あたりだが
散官名、功臣号…と
名誉の装飾ごまんとついている。

実は中国朝鮮の高級官僚はみんなこんな感じなのであるが
「前の副将軍中納言水戸光圀公にあらせられるぞ!」
で十分長いと思う僕たちからすると
想像を絶する長さである。
(とはいえ、副将軍中納言水戸光圀公、という呼び方にも3つ4つの突っ込みどころがある)




…面白がって書いていたけど
なんだろう、
これを読んだ人が面白がる気がちっともしない。

とりあえず今日はここまでにしておいてやるか。

2016年11月9日水曜日

ペン掃除


「ペンのヒモ類が弱ってきた」

FBに書いたのは去年の11月だった。

それから1年。

毎日使っていたけど紐は切れなかったなぁ。

 

今日は振替休日。

あたかもアメリカ大統領選開票日。

TVで開票速報を見ながら、

紐を交換する。



紐を変えるのは3回目くらいか。

ペンの本体は銅管なので

文字通りの緑青色。

昔は緑青は猛毒、と教えられていたが

あるとき新聞に「緑青は無毒」という記事が出て

それから無毒になった。(注



紐を強く締めたら

穴が破れてしまったので

真鍮の板で挟んでおく。



ビーズの飾りは

ノートに差したペンを引っこ抜くときの取っ手なのだが

石とガラスだったので、

会社のスチールのテーブルの上では

会議中置いたり取ったいるるごとにがちゃがちゃうるさいので

ガラスビーズは小さく、

真ん中に手製の革ビーズ?をはさみ、

タッセルをつけて、ぶつけても音がしないようにした。

音も出なくなったがペンが軽くなった。



ぴっかぴかに光っていた革のペンのカバーは

反対側に折り返したら一切のツヤを一瞬で失った。

1か月くらい使っていたらまつやは戻るかな。



TVを見ている間は手がお留守になるので案外時間がかかった。

しかし

昼過ぎには大勢判明、と言い続けていた大統領選は

13時過ぎ、14時過ぎても決着せず、

15時近くになってトランプさんが勝った。



びっくりした。





注:ウィキペディアで調べたら

緑青が無毒である(金属銅と毒性は変わらない)という記事が載ったのは

198487日とのこと。

32年前のことである。


もともとのストラップ部分
もう切れそう。

もともとの本体
これから糸を切る。

緑青で緑!




バラバラにして掃除したパーツ
巻いていた革、
本体の銅管
チークで作ったペン先とフタ
ボールペンのカートリッジ



本体組み立て…1分もかからないか


革を巻く


編みあがり


穴がひきちぎれたところを真鍮の破片で噛ませる


ノートに差したところ。