2016年11月26日土曜日

タガのユルんだおやじの箍を締める顛末

妻の買ってくるシャツが、
僕が想定する倍以上の値段だった。
難じると

「中身の品質はもう担保できないんだから
 せめて包装だけでもきちんとしないと
 商品として扱えません。」

との回答だった。
4,5年前のことである。

爾来、妻の買ってくる服の値段に文句をつけることはない。

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齢50。
「知命」にして
包装はいかに取り繕っても
箍(たが)も緩みは蔽うべくもない。

広く世間を見渡すに、
社内の飲んだくれのおじさんでも
薬指に銀色の箍がはまっている。

思うに
ぐでぐでに酔っぱらっても
煮崩れたり、はじけとんだりしないよう
予め箍をはめているのだろう。

妻に「箍」をはめるよう
強めに勧められた。

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肝心の箍(たが)がない。

ないわけではないが
はまる箍はない。

結婚して2週間足らずで結婚指輪の装着をやめてしまった。
(妻は2,3か月間は頑張ったかもしれない)
大切のあまり、
箪笥の奥に久しくしまっておいたが
そのせいで縮んでしまった。

縮んた指輪は
薬指にあてがっても
第二関節がこれを通すことを強く拒む。
関節の「関」は関所の「関」であることを思い知らされる。

「箍の更新が必要」
という相談がまとまったそのとき
奇跡のように、
あるいは冷やし中華の季節到来のように

「指輪教室、はじめました」

の案内が届く。


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初冬の一日、
河合隆男さんの主宰する、沼津の
 創作工房 WARAI
を訪ね、指輪を作る。


出来上がりはこんな感じ。
「鍛造だから使える素材シルバー950は
 銀白色の輝きが違います」
との河合さんの言葉通り、
普段見る銀製品よりだいぶ白く鋭く輝く。
槌目が美しい(自画自賛)


素材の銀の棒。
河合さんの用意してくれたのは
もっと太くて立派だったが
普段使いに細いのがいい、
といったらのこぎりで挽いて
5分ばかりでこの太さにしてくれた。
長さは51mm
これを65mmまで打ち延ばす。


焼きなます。


打ち延ばす。


丸める。
そこは初心者。
側面を見ると厚みはいたって不均一。




こういう時カルチャースクールの先生は

「このヘッタクソ!」

なんて暴言は吐かない。

「味が出ましたね」
「景色ができましたね」
「非対称の面白さがありますね」

などと言う。
意味はどれも同じである。
もちろん河合さんはそんなことは言わなかった。


銀蝋で熔着する。


silverの刻印を打つ。


やすりで形を整える。




打つ。
太さを調整し、
形を整え、
槌目は装飾として残す。




磨いて2つとも出来上がり。
もちろん不惑の妻も
ゆるんだ箍を締め直すのである。


作った指輪(下)と
結婚後1週間で外した指輪(上)とを比べるてみる。

鉄道の線路は、
暑いと伸びるし、寒いと縮む。
古い縮んだ指輪を見れば
20年近い歳月が思った以上に寒かったことがうかがわれるのである。



紆余曲折はあったものの、
幸いにして再び箍は締まった。

忘年会シーズンもはじまる。
これで飲みに行っても安心である。






↓参考図版「箍(たが)」



追記:木の葉さんとこの話をしていて初めて気づいたが
孫悟空の頭の金輪「緊箍児(きんこじ)」の「こ」は
「箍(たが)」である。
何十年も結びついてこなかったなぁ。
三蔵法師が悟空の頭を絞め付ける呪文は
緊箍呪、なわけだが
そう思ってみると
 箍を緊(し)めつける呪文
というだけの命名で
ほんとんど一般名詞である。
文字の国の人の命名した
なんだか難しい、高尚な名前、と思っていたが
そう考えるとちょっとがっかりである。

そういう点では
悟空の武器
「如意金箍棒」も
意の如くなる(如意)、金の箍のついた棒
と思うと、がっかり加減は同様である。


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